[東日本復興計画]発信被災地へ > 居住地移転の歴史的認識と今日の課題 [ 投稿者:杉山 大志 ]
居住地移転の歴史的認識と今日の課題
投稿日時:2011年10月31日 20:11.24
最終更新:2011年10月31日 20:11.24

 過疎によって移転を余議なくされるというと、多くの人には心理的抵抗があるようだ。たしかに住みなれた土地や顔見知りと別れて暮らすのはさびしいことである。しかしそのような居住地の変更というのは歴史的には多く行われてきた。これに学ぶことで、今後余儀なくされる移転を、より円滑に実施できるかもしれない。

 居住地の移転は、食べ物と仕事を探したり、被災地から移転するという形で、江戸時代から現代に至るまで、頻繁に行われてきた。
貧しさと食糧難によって、江戸時代の次男三男は農村から都市へ出た。当時、都市は米を食べることができるといったあこがれの地ではあったが、その米食は栄養として悪く、また衛生状態も悪く、実際にはそこで多くが命を落とした。これは都市墓場説といわれる。
 仕事を探しての移転は多い。近年でも若者は上京しており、また壮年者は単身赴任をしている。高度成長期には集団就職があり、その前には北海道への開拓事業から、韓国・台湾・満州などへ、開拓事業もあり、また、奴隷同様の人夫も移住した。
 江戸時代には飢饉になると村が壊滅し無人になることがあった。とくにこれは東北地方でよくあった。壊滅した村にはその後、別の地方からさまよってきた人々が住むようになった。土地をもったわりと裕福な農家であっても、病気や火事などがきっかけで一代のうちに没落して土地を手放すこともよくあった。貧しい人々は借金がたまると村から出ていった。子供は売られた。同じ土地で同じ家が代々続くということは案外すくなく、村への人の出入りはかなり頻繁だった
 農民は一日中働いたが、決して暮しは楽にならなかった。段々畑は耕して天に至った。漁民は貧弱な航海技術であるにも関わらず、勇気をもって航海をした。しかしその結果水難は頻繁におきた。
 以上について、日本を代表する民俗学者である宮本常一氏らによる参考文献に凄惨なエピソードが多数書かれている。詳細はそちらに譲るが、例えば(宮本1995 d)の目次から言葉を拾うとその概要が窺い知れる:

 第二章 ほろびゆくもの
  さびれゆく町村
  流亡の村 雪崩する谷/十津川くずれ
  士族のゆくえ 無縁移住の群れ/北へ落ちる人々/開拓の悲劇
  ・・
 第三章 流離の世界 
  落伍してゆくもの くずれる共同体/夜逃げ/失踪
  漁民流離 うばわれた漁場 でかせぎ漁民たち 
  移民の群れ ハワイ・アメリカへ 南洋・グアテマラへ 沖縄からの移民


 昭和40年ごろまでの写真集を見ると、このような江戸時代中期以来の、貧しさに揉まれながら人の手が山奥に加えられ、また漁労が行われていったことが分かる(宮本2009a;2009b 川添1993)。現在過疎地と言われている中山間地域や小規模な漁村は、このような労働集約的な農漁村の活動の結果として形成されてきた。
 ここでの今日的な問題は、国民全体の生産性が向上した中では、このような過疎地域での険しい地形における農漁業活動は、その生産性向上に限界があり、日本国民の平均的所得に比べれば遥かに低い生産しかもたらさないことだ。兼業農家では農業所得は100万円、農業外所得が400万円というように、農業外所得の方が多いのが普通である(速水1986)ことは、これを端的に示している。
 歴史的に言えば、経済原理にそぐわなくなった人々は死に絶えるか移住をしてきた。しかし、これと同じことを現在の過疎地に迫ることはもちろん適切ではない。なぜなら、技術進歩によって社会全体が豊かになり、より適切な方法を過疎地の人々に提案できるからだ。また、社会全体が豊かになったことには、彼らのこれまでの働きも大きく寄与しているのだから、これは豊さを享受している現代社会の責務でもある。

 問題はその具体的方法である。予算は限られている。すべての過疎地を振興できるわけはない。そう試みることは、かえって財政の悪化とサービスの低下をもたらす。むしろ、多くの過疎地からは戦略的に撤退し、いくつかの拠点に重点的に公共インフラを集中して、効率よく、人々によい暮らしを送ってもらえるようにすればよい(鬼頭2011;林・齋藤2010)。
このような撤退をするにあたっては、まずは、いつまでも政府補助を頼みにするのではなく経済的に自立していける方法を検討することと、そして、当事者の意思を尊重することが重要である。老齢化・過疎化が進むなかで過疎地にいつまでも留まるのはけっして楽ではないから、利害得失については納得がいく話も多かろう。
 ただしそれだけでなく、本稿で見てきたような、移転する人々の歴史に敬意を払うことが重要ではないか。つまり、貧しさと戦い、その地を開墾したり漁業を確立した人々、とりもなおさずそれが彼らの父祖であるが、その努力に感謝することである。移転跡地の祀りをきちんと行い、民俗学調査を行ってその歴史を記録にとどめ、そして、白川郷のようにいくつかの場所は文化財として保護することが重要ではないか。

参考文献
川添登(1993),『東京の原風景』,ちくま学芸文庫.
鬼頭宏(2011),『2100年、人口3分の1の日本』,メディアファクトリー新書.
速水祐次郎(1986),『農業経済論』,岩波書店.
古島敏雄(1967),『土地に刻まれた歴史』,岩波新書.
宮本常一(1981),『絵巻物に見る-日本庶民生活誌』,中公新書.
宮本常一(1984),『家郷の訓』,岩波文庫.
宮本常一(1985),『塩の道』,講談社学術文庫.
宮本常一(1986),『ふるさとの生活』,講談社学術文庫.
宮本常一(1993),『民俗学の旅』,講談社学術文庫.
宮本常一(1995a),『日本残酷物語1-貧しき人々のむれ』,平凡社ライブラリー.
宮本常一(1995b),『日本残酷物語2-忘れられた土地』,平凡社ライブラリー.
宮本常一(1995c),『日本残酷物語3-鎖国の悲劇』,平凡社ライブラリー.
宮本常一(1995d),『日本残酷物語4-保障なき社会』,平凡社ライブラリー.
宮本常一(1995e),『日本残酷物語5-近代の暗黒』,平凡社ライブラリー.
宮本常一(1995f),『日本の村・海をひらいた人々』,ちくま文庫.
宮本常一(2001),『空からの民俗学』,岩波現代文庫.
宮本常一(2007),『日本人の住まい 生きる場のかたちとその変遷』農文協.
宮本常一(2009a),『宮本常一が撮った昭和の情景 上巻-昭和30年-昭和39年-』,毎日新聞社
宮本常一(2009b),『宮本常一が撮った昭和の情景 下巻-昭和40年-昭和55年-』,毎日新聞社
林直樹、齋藤晋(2010),『撤退の農村計画』, 学芸出版社

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